05

「千鶴ーあなたお風呂とご飯はどうしたの?」
「あ、ご飯も外で食べてきたし、お風呂はみんなで銭湯に行ってきたからだいじょーぶ」

 千鶴はリビングに顔を覗かせ、母親と一言二言投げ合うと玄関に戻ってきた。

「さ、二人とも上がって」
「お邪魔しまーす」

 玄関口で千鶴の様子を伺っていたナマエと香代は口を揃えて挨拶すると、靴を脱いで二階の千鶴の部屋へ向かうべく階段をのぼった。

「今日の模試疲れたー」
「難しかったね」
「あの重箱の隅を突くような問題、先生たちの性格出てた」

 千鶴は机の上の卓上充電器に携帯を繋げると隣りのベッドに乗った。そのベッドでは持ち主よりも先にくつろいだ様子の香代が携帯を触りながら口を開く。

「でも国家試験はああいうレベルが当たり前なんでしょ?」
「えー」
「過去問したけど、そうだったよ」
「え、ナマエ過去問したの?!」
「うん」

 カバンの中から参考書を取り出して読みあさっているナマエを千鶴は驚愕の表情で見返した。そんな千鶴を香代は携帯から視線を上げるとさばさばした口調で声をかけた。

「千鶴、私も過去問したよ」
「ええっ」

 あたふたする千鶴を横目にナマエはくすくすと笑った。それを見た香代は静かに微笑んだ。

『じゃあ、私の家に泊まりに来なよ』

 千鶴の提案にナマエは困惑した顔をした。

『千鶴ちゃんの気持ちは嬉しいんだけど、でも誠二くんがいつくるのかわからないし』

 その言葉に千鶴は腕を組み悩みだした。そんな二人の様子を傍観していた香代はあっさりとした口調で声をかけた。

『じゃあいつ来るか、わかればいいんでしょ?』
『え?』
『香代ちゃん、わかるの?』

 香代はくりくりした目でナマエに見つめられ、口元をニヤッと歪めた。

「本当に藤代、来るかなー」

 不意に千鶴が呟いて、参考書を見ていたナマエがハッとした面持ちで急いで顔を上げた。
 香代はナマエと目が合うと微かに首を傾げた。

「多分ね。今までどおりなら来るんじゃないかしら」
「けど、香代もよく藤代が来る法則わかったね」
「考えたらそうなっただけ。だって自分が次の日休みか遅い午前練習の時じゃないと続かないもの」
「しかもそれを、チームのホームページで調べるとか」
「千鶴に比べたらまだまだ未熟ですが」
「なにおーう」
「まあ、ナマエが手帳に藤代と会った日をチェックしてくれてたからできたんだけどね」

 二人が言い合う姿を、ナマエは笑いながら見た。

(二人が居てくれて、本当によかった)

 ナマエは心の中で感謝の言葉を二人に呟いた。
 自分一人ではどうすることもできず、藤代に流されるままだった。そう思うたびにナマエは目の前の二人に暖かく嬉しい気持ちが込み上げた。

 客間から布団を引っ張り出してきた千鶴にお礼を言うと、ナマエは香代と協力しながらベッド下に敷いた。二人で譲り合いながら布団に滑り込む。
 そんな様子をベッドから千鶴は羨ましそうに眺めた。

「なーんかいーなー」
「なにが」
「二人でいちゃいちゃしてる。私も混ざりたい!」
 ベッドの上でバタバタと暴れる千鶴を見てナマエは苦く笑った。
「来なくていい」
 隣りで香代がバッサリと言い捨てた。
「ばかー!」
「ナマエ、寝よっか」
「うん」
「二人で無視すんなー!」

 電気の消された部屋のなか静かに目を閉じる。ナマエはドキドキと高鳴り出した胸を手でそっと押さえた。

 (誠二くんが、私の家に本当にきたら、驚くかな)

 想像して、ナマエは緊張のあまり興奮している自分に気が付いた。そして彼がナマエの家の扉を開いて呆然とする姿を想像すると申し訳なさが込み上げてきた。ナマエの家まで車で20分。――そこまでして来てくれるって言うのは愛されてるって思ってもいいのかなぁ。
 香代の言葉が脳裏を過ぎり、ナマエは罪悪感にチリっと胸が痛んだ。

 (折角、会いにきてくれたのに…誠二くんに、申し訳、ない、なぁ)

 仰向けに寝ている体を横に向ける。ナマエの脳裏に別の考えが浮かんだ。――こんなふうに突然いなくなったら、彼は私の所に来なくなるのかもしれない。

(ダメだ、これじゃあ自分以外にも、同じような人がいるって認めるみたいで)

 隣りから香代の寝息が聞こえ、ナマエはそうっと息を殺しながら枕元の携帯に手を伸ばした。

 (メール、送ろう、かな)

 掴んだところで、ナマエを睡魔が襲った。何ヶ月も寝不足が続いていたからか、安堵して眠れることに頭より先に体が休息を求めた。
 指先から感覚が消えていく。それを感じるより先に、ナマエは意識を奥深くに沈ませた。

 (無防備に寝てる)

 寝息を立てているナマエの顔の前に千鶴は手を振るが、起きる気配はない。
 そうっと手を伸ばし髪を撫でると、ナマエは嬉しそうに鈴の音のような声を漏らし身動ぎした。

 )うはー、藤代が寝込みを襲いたくなる気持ちはわからなくもない)

 千鶴はそっと頭から手を離すとナマエの手が伸びた先を見た。折り畳まれた携帯を慎重に摘まむとチカチカと点滅してるそれを開いた。

「………」

 翌朝、ナマエは寝ぼけ眼を擦りながら静かに起き上がると、隣りの香代を起こさないようにそっと布団から抜けた。あくびを噛み殺し、昨夜頭上に置いた携帯を見た。
 昨夜何らかの連絡があれば、カラフルなイルミネーションが点滅する設定になっているそれは、光っていなかった。

(誠二くん、来なかったんだ)

 ほっとしたのも束の間、ナマエの心に漠然とした寂しさと不安が浮かんだ。

 2013年7月25日