04

「な、ん、で! 昨日それを言わなかったの」
「千鶴、まあ、落ち着いて」

 厳しい言葉を投げる千鶴を香代は抑えながらナマエを労わるような目で見た。
 ナマエはますます身を小さくした。そんなナマエを見、千鶴はぐっと唇を噛み締めると心を鎮めようと鼻でゆっくりと空気を吸い込んだ。

「ナマエが心配なの、だから聞くんだよ?」

 千鶴はできるだけやさしい声を出すと、口を閉じた。ナマエは俯きながら上目遣いで二人を伺うようにみるとおそるおそる口を開いた。

「話したら、二人の中の藤代くんの評価、もっと落ちるでしょ?」
「もちろん」
「当たり前、ってか何を心配してんの! アンタが心配しなくちゃいけないのは藤代の評価じゃなくて自分の身でしょうが!」

 再び牙を剥き出しに噛み付くような勢いで千鶴はナマエを睨み返すと荒い息を吐いた。捲し立てられた言葉に呆然としながらナマエは花が萎れるように上げていた視線を弱々しく机に向けた。
 そんな様子のナマエを横目に見ながら香代は憤りを露わにしている千鶴を見た。

「でもなんで千鶴がそれに気づいたの?」
「え? 今なんか言った?」
「だーからさー、どうして藤代絡みだってわかったのよ」
「面接、受かってたから」
「え?」

 言葉の意味が理解できず、香代はもう一度千鶴に尋ねた。

「だーかーら、ナマエ最終面接まで進んだんでしょ?」

 千鶴の“最終面接”の言葉にナマエがぎくりと肩を跳ねた。そんな反応を見せたナマエを尻目に千鶴はバツの悪そうな顔をした。

「聞くつもりはなかったんだけど、就職課に掲示板を見に行った時にナマエがキャリアの先生に報告してる声が聞こえてきちゃって」
「そうなの?」

 香代が確認するように尋ねると、ナマエはおずおずと頷いた。

「就職関係じゃないのにナマエがあんなに落ち込むものといえば藤代しかないって千鶴は踏んだのね」

 納得したような香代の声に、千鶴は頭を何度も振り、傍でナマエが申し訳なさそうに手を合わせていた。

「ごめんね」

 そんなナマエに千鶴はなんどか彼女の頬を軽くつねった。それを香代が止めていると、千鶴が続き話をするように言葉を連ねた。

「あとさ、私自身も藤代について最近気になる日記をミクシィで見つけてさ」

 聞きなれない言葉にナマエはそっと顔を上げると二人を見た。香代はその言葉に聞き覚えがあるらしく首をかしげながら曖昧な声を漏らした。

「えーと、なんか最近皆が登録してる日記とか写真公開してるやつ?」
「そうそう、友達の紹介がないと参加できないってやつ。ナマエ知らない?」
「あんまり…うち、家にネット繋げてないから」
「うーん…じゃ、言葉で言うより見せたほうが早い、自習室行こう」

 言うが早いか千鶴は椅子の後ろに置いておいたリクルートの鞄を持つとすぐさま立ち上がった。

 

「これが私のページなんだけど…」
「千鶴ってこんなん興味あったんだ」
「千鶴ちゃんすごいねー」
「高校の時のみんながやってて登録しろって紹介メールがしつこくてさ。まあそれは置いておいて、私の友達で昨日日記更新した子がいるんだけど」

 千鶴を挟むように香代とナマエは座るとパソコンの画面をじっと見つめた。手際よくカーソルを動かし、千鶴はその友人の日記をクリックする。すると画面中央に小さな画像が一つ、その下に短い文章が現れた。
 表示された文を二人は必死に目で追った。羅列された文章は短い詩のようだ。

「えー、『本当に幸せだった♡♡、また会えるなんてほんっとに嬉しい』…あーなにこのバカみたいに恥ずかしい文章」
「ちょ、もっと口に出して読みなよ」
「何のプレイよ!…恥ずかしいポエム」
「いや、友達の日記だから、というか先輩だけど」

 ナマエは二人のやりとりを話半分聞きながら文章を読み続けた。

 本当に幸せだった♡♡
 また会えるなんて…ほんっとに嬉しい!
 久しぶりだったけど、私、やっぱりすっごく大好きって思った
 だってかっこいいんだもん、ドキドキしちゃうよ
 もっと会えないかなぁ

 自分の幸せに酔いしれた思いを書き連ねた文にナマエは眉間に皺をしっかりと刻んだ。千鶴が自分たちに見せたのには必ず先ほどの会話と繋がる何かがあるのだと思い、ナマエは隅から隅まで必死にその何かを探した。

「で、これどこにも藤代誠二って名前も一切出てないけど」
「この写真見て」
「ちっちゃくてわかんないよ」
「ちょっと待っててよ」

 千鶴は画面上部の画像をクリックした。すると先ほどの画像が大きくなって表示された。それは、後ろ姿の背中から足にかけての左半身が見下ろすような状態で写っていた。

(あ、誠二くんが好きなブランドのポロシャツ…)

 画面にアップで映し出されたそれはまさに紺地に白のドクロマークが散りばめられたポロシャツとベージュのチノパンが写っている。香代は半信半疑の眼差しで千鶴を見た。

「これでなんで藤代って…」

 香代は視界に入ったナマエの一点を凝視する姿に続けようとした言葉を口の中に閉じ込めた。千鶴は香代に目配せすると、マウスを動かした。カーソルが写真の上を滑り、画面左下、手首の部分で止まった。
 マウスの上には青、紫、白の三つ編みのデザインを模したミサンガが、左手首に巻きついている。

「これさ、ナマエが編んだのよね?」

 千鶴が確認するように尋ねると、ナマエはゆっくりと頷いた。
 藤代が試合でも外せるように、端の部分に留め具をつけ、もう片方の端は輪っかにしたのだ。ナマエが作り、藤代に送ったミサンガは留め具に特徴があった。黒褐色のヘマタイト――勝利へ導く石と呼ばれるパワーストーンを留め具として結びつけていた。

「私が、作ったの」

 ナマエはじぃっと食い入るようにそれを見ていた。

「この日記の人、誰?」
「私の中高時代の部活の先輩」

 香代からの質問に千鶴は端的に答えるとナマエを一瞥した。

「ってことは、藤代も同じ学校ってこと?」
「そういうこと。で」

 一度言葉を切ると千鶴はナマエの顔色を窺うように見た。視線にナマエは続きを促すように頷いた。

「前に言ってた藤代に騙されてたって人。まぁ2、3年前の話だけどこの人が日記に散々書いてたから女子のあいだでは有名」
「ええー本当に?」
「マジで。この人さ、ヤプログでも毎日ポエマーみたいな日記書いてたから」
「…千鶴って暇人だったの? そのヤプログってなに?」
「香代は寧ろ情報に疎すぎ。まあ、私が見たこの日記といいナマエがみた女の人といい、やっぱり藤代は」

 千鶴はふいにナマエが何も発せずにいることに気がついた。
 香代に向けていた顔をナマエに向けると、ナマエがあまりにも思いつめた顔をしており千鶴はぎょっとし狼狽えた。
 そんな千鶴の様子に状況を把握した香代はまわりを見やると二人を教室を出るように促した。

 

 

「ナマエには言ってなかったんだけどさ、友達が昔、高校の時に藤代と付き合ってた」

 実習室から離れ三人は歩きながら授業の使われていない教室に入り込んだ。大きな教室に千鶴の声が反響した。

「その子は本気だったんだけど、藤代は軽い気持ちだったんだって。まぁ昔からサッカー馬鹿だったんだけど、サッカーばっか優先する藤代にショック受けて別れてた」
「それは…男の子ってそんなモンじゃない?」
「うん。まぁそこは高校生だったから。そのあと、大学入ってからさっきの先輩が付き合ってたのかな…カラダだけの関係っぽいこと、日記に書いてたんだって」
「マジかい…」

 香代は苦虫を潰すような表情で地面を見た。そうして静かにナマエの顔を見た。放心したうつろな顔のナマエを心配そうに千鶴は見た。

「なんか…ナマエの彼氏をこんな風に言ってごめん」
「千鶴をフォローするつもりじゃないんだけどさ」

 気まずそうな表情の千鶴の言葉を掬うように、香代は言葉を続けた。

「千鶴はナマエが心配だから言っただけで、でもナマエにはお節介だったのなら気にする必要はないと思う。それにさ、今の話は千鶴が聞いたって話であって真実という訳ではないじゃない?」
「香代ちゃん…」
「結局のところ、本当かどうか疑わしい訳」
「香代、それを言っちゃったら元も子もない」
「千鶴は黙ってて」

 ブツブツと不満そうに呟いた千鶴を制し、香代はぼんやりと自分を見つめるナマエをじっと凝らすように見た。

「ナマエがちょっとでも不安に思ったなら、藤代に聞けばいいんだよ」
「……確かに。でもアイツが嘘つかないとも言えないじゃん」
「嘘ついたときはその時でしょ? 本人の答えが一番正解に近いんだから」
「えー」
「あのね、二人とも」

 ナマエが丁寧にそっと声をかけると二人は掛け合っていた言葉をピタリと止めた。

「私さ、前みたいに誠二くんのことを言われても、今は大丈夫だよって言えない」

 慎重に言葉を選びながらナマエは二人に伝えると、今にも泣き出しそうな顔をした。

「でも、それでも私が今彼の彼女だし、誠二くんのこと好きだから」

 睫毛を伏せて、少し怯えたようにナマエはぎゅっと瞳を閉じた。何かを言われるのではないかとビクビクしながらナマエは言葉を待つが、二人は何も言わなかった。そろそろと目を開けると真剣な眼差しの千鶴と香代がナマエを見守るように静かに見ていた。

「次会った時に聞いてみようと思う」
「そっか。うん」

 香代は納得し頷くとナマエの髪を優しく撫でた。その隣りで千鶴が観察するようにナマエを見た。
 どこかまだ怯えた様子のナマエに、千鶴は首を傾げた。

「なに、ナマエ怖いの?」
「え?」

 千鶴の言葉に香代はナマエを見た。ナマエは眉根を下げ困ったような顔で千鶴に頷いた。

「誠二くんがまた夜中に来るかもしれない。私ね、今は怖くて会いたくないの」

 

 2013年7月24日