うすらいでゆく宵の形見に

※諸注意 先輩術師が硝子と、悟と傑のことを話しているだけ 17巻までのネタバレあり うすらいでゆく宵の形見に (中略)それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。 ぼくはどこまでも君の友だちです 青鬼より ――――――引用『泣いた赤鬼』より エタノールの臭いが部屋に充満している。リノリウムにヒールをカチ鳴らしながら進むと、背凭れ椅子に腰かけている後輩の前に佇む。ぐるりと回ってこちらに正面を向けた相手をみとめてから缶コーヒーを差し出した。昼夜を問わずに術式を酷使した相手へのせめてもの労いのつもりだ。目の下に深い隈を拵えた相手は、表情通り気だるげに手を伸ばしてくる。 「ブラックがよかった」 「我が儘言わないの。ここに缶コーヒーの補充に来てくれる人、もういないんだから」 東京は正に今、混沌とした闇の中だ。一般人は当の昔に居なくなっているはずだ。プルタブに指を引っ掛けると、冷えたコーヒーを流し込む。季節柄、本当ならホットが飲みたいところなんだけど、自販機の裏側を開いたことのない身としてはまだ出てくるだけマシと言ったところかもしれない。 天井に吊るしてある寒色系の蛍光灯がジジ、と寸の間光を切らした。電気が切れるのは嫌だな。蛍光灯は在庫は高専内にあるかな。 「で、何を拾ってきたんですか」 すらりと伸びた足を椅子の上で組み直した相手に尋ねられて、私は脇を広げて挟んでいた四方形の本を硝子に差し出した。細く血の気のない指が煤けた本の表紙を見た。そこには児童書らしくひらがなで“ないた赤おに”と書かれている。 呪霊が蔓延る混沌とした東京で、尚も私たちは拔徐を続けている。もう間もなく、呪霊相手だけでは済まなくなりそうだけれど。 今日はとあるマンションに私は向かった。呪霊を闘い終えた場所に、この本が落ちていた。持ち主はもしかしたらあの夜にこの本を読んでいたのかもしれない。 硝子は背表紙をみて、ああ、と納得した顔をした。この本の内容を知っているんだろう。 「硝子、知ってるんだね」 「有名じゃないですか？ 小学教師が道徳によく出してくる」 「ああ、道徳。確かに、使いやすい題材かもしれない」 簡潔に話せば、人間と仲良くなりたい赤鬼とそんな彼の気持ちを汲んで赤鬼のために一芝居打つ事にした青鬼の熱くて切ない友情の話。小学校の教材にはもってこいの話だ。 「これ、凄く好きだったんだよね」 硝子の手のなかの角が破れている絵本を見つめる。持ち主も何度も読んだんだろう。 とても好きで、小さい頃、何度も何度も読み返しては赤鬼の気持ちに寄り添って一緒に悲しみに浸ったのを思い出して、つい持ち帰ってきてしまった。当時の私は、人間と仲良くなれたけれど、青鬼と離れたかった訳じゃなかったんだよ、と赤鬼を不憫に思っていた。 大人になると、青鬼の視点でこの物語を見るようになった。人間と仲良くなりたい大切な友人の赤鬼の願いを叶えるにはどうしたらいいだろう。自分が悪役を買って出ることで赤鬼は人間と親しくなれるんじゃなかろうか。自分は邪魔な存在になることだろう。だけど、それで彼の望む世界があるのなら――。自己犠牲の先にある相手の幸福の為に、彼はきっとすべてを覚悟して人間たちの前で悪行を働いたに違いない。 そうして、この作品を見て、この漆黒の闇の世界を見ながらふと、思ってしまった。 「この赤鬼と青鬼、五条と夏油みたいだよね」 共感は求めていなかったけれど、あんまりな顔を見て、前言撤回したいと思ってしまった。 「そんなにおかしなこと言った？」 「アイツ等を美化しすぎですって」 「そうかなあ」 「ちなみに、どっちが赤、青？」 「そりゃ勿論、赤が五条で青が夏油かな」 硝子は簡単にいうと気持ち悪いものを見たような顔で、どこか蔑みを混じらした目を私に向けてくる。傷つくなあ。 「えっそんなに」 「あのクズ共をそんなものに例えるくらいなら私と先輩で例えてください」 「拗ねてる？」 「少しだけ」 冗談に笑んで、コーヒーで喉を潤す。それから硝子が机に置いた絵本をもう一度手に取るとパラパラと捲る。立て札に書かれた優しい鬼ですの文字、近寄らない人間の姿。ほら、なんだか五条みたいだと思うんだけど。 続けて捲っていけば、人間に悪さをする素振りを見せた青鬼を懲らしめる赤鬼の絵、それから青鬼の家の貼り紙。玄関に頭を押し付けて泣く赤鬼の姿。ほら、この優しさ、夏油みたいじゃない。 なんて硝子を説得させようと思ったけれど、どう考えても無理強いだな、と私も思った。彼らにそんな優しいやりとりがあったような記憶がないから。 すっかり軽くなったコーヒーを床に置いて勢いよく踏み潰すとそれは形状を思い出せないほど薄っぺらくなった。 ぺらぺらのアルミ缶をつまみ上げていると、硝子が伸びた髪を後ろにやりながらどこか遠くへ視線を向けた。 「でもまあ、あれは言えると思いますよ」 「ん？」 「手紙の最後」 絵本を開いて、青鬼の手紙に目を通した。そうしてああなるほど、と頷いてから私は空いている手で硝子の頭を優しく撫でた。 「硝子もきっと二人にそう思われてたんだと思うよ」 「気持ち悪」 学生の頃の彼女ならげえっと嫌そうな顔をしたんだろうな。今じゃそんな表情すら見せてくれなくなったのがとても残念。 苦笑を漏らしそうになって、私はカーテンで閉じられた窓へ目をやる。 漆黒の闇。 この世界を世間では彼ら二人が画策したと言われている。そう発表された。 呪術師が苦しまない世界を目指していた夏油の道とは到底思えないけど。 ちらりと硝子の缶コーヒーを奪って、私はその少しニコチンの味のするソレを飲んだ。 タイトルはafaik様から拝借しました。 以前twitterに投稿したものです。 [2021.10.12執筆 2021.11.7投稿]