04 : 万年筆をインクに浸す

04 : 万年筆をインクに浸す

 

 

 夜の気配を残していた空に日の出が差し込む。橙色の光はすっかり夜明けを消し去り、次第に夏特有の生ぬるい暑い朝がやってくる。
 祖母の作ってくれた朝食を食べ終え、洗濯物を干し終えたナマエは祖父母に部屋で勉強すると伝えると二階へ向かった。夜と違って日に照らされて眩しい廊下を歩き、軋む階段をのぼる。
 扉の向こうは布団の上に脱ぎ散らかしたままの寝間着が踊っていた。正面のカーテンは閉められたままだったが、カーテン越しにも日差しの強さが伝わる。そのすぐ横で、扇風機がブンブン首を降り続けている。
 ナマエは真ん中の布団まで向かうと、枕元と足元にぐちゃぐちゃに落ちている寝間着を畳んだ。
 畳んだ寝間着を襖の前に置いている旅行カバンの傍に置くと、布団を三つ折りにする。
 とじていたカーテンを開き、ついでに網戸も押しやる。手すりの上に布団を引っ掛け、机の上に置いておいた布団ばさみで挟むと、すぐに網戸をした。
 布団を掴んだ腕と胸辺りが既に熱を持っている。ナマエは扇風機の前にしゃがみこの熱さが早く冷めて欲しいと思った。

 机に向かい、椅子に腰掛ける。端に追いやっていた課題を手元に寄せる。
 筆箱からシャープペンシルと消しゴムを取り出し、ペンを手に構える。
 ドリル形式になっている問題を一問ずつ目で読みながら、ナマエは昨夜の出来事を思い出していた。

 この場所に来た経緯を総司に伝えた――自分の心の傷という弱さと醜ささを誰かに伝えるのはとても恥ずかしかった。
 友人と好きな人が付き合い始めた事を別の友人から聞いた時は信じられなかった。その前の日に彼女はナマエにもう人押しだよ、と言っていたからだ。
 そんなハズはない、と思いたかったけれど、こんな事を目の前の友人は冗談で言わない事を知っていた。
 心のどこかが急にぽっかりと穴が空いてその穴を無理矢理こじ開けようとしている――そんな苦しさがナマエを襲った。
 昨夜総司にこの話をしている時、確かにナマエはその痛みを思い出していた。じくじくと化膿している傷にイソジンを塗っているような感覚だった。

 しかし、ナマエはその事よりも総司に抱きしめられた事で頭が一杯だった。
 握手――自分からふった内容ではあったが、まさか抱きしめられるとは思っていなかった。
 背中にまわされた手の感触を思い出して、ナマエは無意識に頬を赤らめた。
(目の前の問題が頭に入ってこない)
 紙の上をシャープペンシルでトントン突きながら頭の中から総司を追い出そうと試みる。
 ナマエの思いとは裏腹に頭の中は耳元で囁かれた感覚を思い出す。――いいこですね――思わずナマエは耳に手をやる。

「あーもう」

 課題の上に上半身を乗せると机に額を押し付けた。

 昨夜、ナマエは眠れなかった。頭が妙に冴えて、目をとじても意識が遠のかない。うんうん唸りながら暑さに耐えかねタオルケットから顔を覗かした時、既に総司の姿はなかった。
 眠りについた時間が遅かった為に寝坊したナマエは、いつもならきちんと畳む布団もおざなりに、着ていた寝間着を雑に脱ぐと旅行カバンの中から引っ張り出したロング丈のワンピースを頭からかぶり階下へ落ちるように急いだ。
 そして冒頭に至る。

 寝不足が祟って、ナマエは額をつけていた体を起こすのが面倒になってきた。首を横に捻り、左右に首を振っている扇風機を半目で見やる。それはぶんぶんと唸りながら、ナマエの元に風を送り届けている。頭上の窓からたまに家の前を走る車のエンジン音が近づいては遠ざかっていく。
(眠ってしまおうか)
 意識が遠ざかっていくなか、ナマエは右手にシャープペンシルを握ってるかな、とどうでもいい事を思っていた。

「ナマエちゃん、お昼ご飯やでぇ」
 階下から響く祖母の声にナマエは目を覚ました。
「ん」
 まだ覚醒しない意識の中、重たい頭を起こす。
 ナマエが瞼をゆっくり持ち上げると、寝る前に取り組んでいた課題が視界に入った。その殆どがまだ空白な事に重たいため息を吐く。
 蒸し暑いなか寝ていたからか、喉がとてつもなく渇いている。両腕をあげ伸びをすると首をぐるりとまわす。

「んあ」
「ふふ」

 背後から聞こえた声に驚き上半身を勢いよくひねる。
 部屋の隅の方に総司が正座していた。
 いつもの白の着物に紺の縞模様の袴。髪を後ろに一つでくくっている。口元に手をあてて面白そうにナマエを見ていた。

「み、見てたの?!」
「ええ、おはようございます。ナマエさん」
「いつから?!」

 思わず椅子を蹴るように立ち上がる。隅にいる総司に近づこうとして、体の至る所が痺れはじめた。変な姿勢で寝ていたせいで体がかたまってしまったのだ。
 総司はそんなナマエを見てますますお腹を抱えて笑い出した。
 恥ずかしくて動きたいのに、足の先が痺れていて動けばピリッと電流が走る。

「ナマエさん、顔に色んな跡がついてますよ」
「えっ!」
 急いで手を顔に当てる――ところどころ凹んだ感触が感じられる。ナマエはかぁっと顔全体が熱くなるのを感じた。
 痺れる足を無理矢理前に進めながら総司の元へ歩く。

「ナマエちゃぁーん」

 階下の祖母の声にハッとしてナマエは大きな返事をした。
「今行くー!」
 総司は手を振りながらいってらっしゃいとナマエを見送った。
 ナマエが扉を閉めるまえ、もう一度ここに戻って来た時、果たして総司はいるのだろうか、と思いつつ、戻って来た時ここに居て欲しいと気づかないうちに思っていた。

 

***

 

「花火大会?」

 そうめんをつゆに浸しながらナマエは祖母の言葉を反芻した。向かいに座る祖父がかわりに頷く。

「今日は外が騒がしかったろ? 花火大会の準備をしとるんさ。ナマエちゃんも良かったら見てきいさ」
「むむ」
 祖父からの言葉にナマエは曖昧な返事を返すとそうめんを啜った。つゆの中にいれていたネギとワサビがそうめんに絡み、ピリッとした辛さが舌の上で踊った。堪らずナマエは舌鼓を打つ。
 テーブルの上に箸を置くと、コップに入った麦茶をごくごく勢いよく飲む。
「ごちそうさまでした」
 立ち上がり、流し台にお箸やつゆの入った器、コップを運ぶ。水道の蛇口をひねると生ぬるい水がナマエの手にかかった。スポンジに洗剤をつけ泡立てて、濡らした食器をゴシゴシ擦る。泡の沢山着いた食器を水で流し、乾燥機にうつした。
 祖父母に再び部屋に戻る事を伝えると、祖母から「花火に行くならはよ言うてな」と言われた。ナマエはそれにわかったと答えると再び部屋に戻った。

 昼間の気温で熱くなってきた廊下を歩き、ぎしぎし軋む階段を少し湿った足でのぼる。
 扉を開けっぱなしで出て行った為、部屋の中が徐々に見えてくる。ナマエは扉の隙間から総司の後ろ姿が見えると嬉しさと緊張で胸が高鳴った。
 顔に色んな跡が付いてますよ――扉に手を伸ばそうとした時、先ほど総司に言われた言葉を思い出す。慌てておでこや口元に手をやり凸凹した感触がないか確認する。
 そういえばさっきのネギが歯についてるかもしれない。口元をぐりぐりと押したり口の中をもごもごさせる。着ているロング丈のワンピースにも汁や何かついていないか気になり、ナマエは無意識に確認していた。

「総司」

 扉を閉めながら声をかけると、総司は首をひねりナマエを見上げた。
「ナマエさん、お昼は何だったんですか?」
「そうめん。それより総司」
「はい?」

 扇風機の傍に正座した総司と視線を合わせるようにナマエはしゃがみ込む。総司は掛けられた声ににこりと笑むとナマエをじっと見つめた。
 総司に見つめられたナマエは心がそわそわする自分に疑問を浮かべながら、先程祖父母に教えてもらった花火大会の事を伝えた。話している最中、視線に耐えきれなくなったナマエは彼の後ろに見える扇風機を見ることにした。

「いいじゃないですか。ナマエさんは行かないんですか?」
 総司は言いながら両手を合わせ、一笑する。しかしナマエは床を見ながら首を振った。
「だって花火を一緒に見に行く相手がいないんだもの」

 あくまでもここは父の田舎であってナマエ自身がここで育った訳ではない。小さい頃から祖父母の元に遊びに来てはいるが、友人を作った事もない。ましてや隣接するのは家ではなく田んぼのこの田舎で友達を作ることなどないと思っていた。――それに今までは家族で来ていたのだ。一人で花火を見に行くのは気が引ける。
 ナマエは腰を上げると机におさまっていない椅子に腰を下ろした。

「なら私と行きます?」
「総司と?」

 総司の言葉にナマエは腕を組む。その言葉を聞いて少し喜んでいる自分に驚いていた。が、花火大会と言えばやはり人が集まる。そんな場所に総司をつれていく――想像するだけでなんだかおかしい気がしてきた。
 ナマエはうんうん唸ると、言いにくそうに総司に言葉をかける。

「総司、気持ちは嬉しいんだけど花火大会って人がたくさん集まるからさ」
「ナマエさん」

 総司はナマエの言葉を遮り、両手を胸のあたりでトンと手を叩くとにこりと微笑んだ。そんな総司の仕草にナマエは首を傾げる。

「いい場所があるんですよ、任せて下さい」

 

***

 

 ドン、と地面に響くような大きな音。直後真っ暗な空が色鮮やかに光り、きらきらと火の粉が輝きながら闇に吸い込まれていく。

「たーまやー」

 総司の声が響く。それと重なるように花火の大きな音が聞こえる。
 昼間のような明るさを放つ夜空を見ながらナマエは隣りで嬉しそうに見ている総司をちらりと盗み見た。

 いい場所があるんです、その言葉を半信半疑で聞きながらもナマエは祖父母たちに花火大会に行く事を伝えた。二人は夜は危ないから気をつけるんよ、と言い夕方には家は鍵を閉めてしまうから、と家の鍵をナマエに渡した。
 ナマエは部屋に戻り、午前中睡魔に負けて出来なかった課題に取り組んだ。始めのうちは部屋の中をうろうろとしていた総司だったが、集中できないとナマエに言われるとでは夕刻に、と素直に姿を消した。

 時刻が4時を過ぎた頃、ナマエは干していた布団をしまった。階下に降りて洗濯物を取り込んでいると祖母に呼ばれた。
 祖父母たちが寝室にしている和室の部屋続きになっている和室に行くと、浴衣が天井についている金具に引っ掛けて吊るされていた。紺色の生地ははちりめん加工がされており、桃色や紅色の大きな花が所々に散っている。
 昔父の姉が着ていたらしい。表が黄色で裏が朱色の帯を持ってくると祖母は着付けてくれた。

 髪を整え、巾着の中に必要最低限のものをいれる。総司から貰った扇子は帯の隙間に挟んだ。
 玄関の鍵を閉めていると家と田んぼの間の狭い道に総司がぽつんと立っていた。
 慣れない下駄で小股に歩きながら向かうと総司は目を大きく開いてナマエを見たが、すぐに微笑んだ。

「行きましょう」

 花火大会の開催場所に向かいながらナマエは着崩れしないかとか、私が浴衣を着て総司は変に思わないだろうか、と気にしながら歩いた。
 開催場所の近くになると道の両端に屋台が立ち並んでいた。
 総司はナマエに食べたい物を先に買っておいて下さいといいそのまま姿を消した。
 急に姿が見えなくなり焦ったナマエは慌てて綿あめやタコせんべえ、焼きそばや飲み物を買うと人の多い場所からは離れた。一人でこんなに多くの食べ物を抱えて歩くナマエの姿は奇妙に見えたのだろう、道ゆく人たちが好奇な視線をナマエに投げた。
 その視線を避けるようにナマエは俯きながら先を急いだ。

「総司」
 静かに、呟くように呼ぶと総司がにこにこと笑みながらナマエに近づいてきた。
「こっちです」
 くるりと背を向けると総司はすたすたと歩きだした。

 どんどん開催場所から離れていく。
 むしろ祖父母の家の方に戻ってきている気がする。
「総司、こっちにきても何もないんじゃない?」
「いいんですよ」
 疑問に思いながら歩いていると、以前来た山の麓に向かっている気がしてきた。

 日が沈み、薄明の景色に闇が混じってくる。点々と所在する電灯の下を歩きながらナマエは辺りをきょろきょろ見渡した。辺りは田んぼと一軒家がぽつんぽつんと建っている。どこかから蝉の鳴き声が小さく聞こえた。
 昼間の熱を吸収した地面から熱気が込み上げてきて暑い。浴衣の中が暑くて体が火照る。汗がこめかみを伝い、両手に握る袋と手の隙間が汗でぬめっとして、ナマエは持つ位置をかえると巾着からハンカチを取り出し汗を拭った。

 山の麓に着く手前の細道に総司は足を踏み入れる。後を追うようにナマエも歩いた。少し行くと石段があった。石段の中央には錆びた手すりがついている。見上げると段はかなりある。
「ナマエさん、目を閉じて階段をのぼって下さい」
「え? 目を閉じるの?」
「はい、私がいいと言うまで開けないで下さいね」
 眉間を寄せつつ目を閉じ、手すりを頼りにナマエは次の段に足をかけた。――一段、二段、三段。
「もう開けても良いですよ」
 総司の言葉にナマエは目を開けた。
 するとあと何十段は登らなければならないハズの階段はなくなり、ナマエは先程見上げていた階段の頂上からの景色を見ていた。
 頭の中を幾つもの疑問が飛ぶ。後ろを振り向けば自分がさっきいた階下が薄暗さの向こうに見えた。
 驚きで声が出ないナマエに気付かないのか総司はそのまま前へと数歩進んだ。
(なに、今の。よくわかんないけど)
 すごい、の一言だけで片付けるには疑問が多すぎた。
 ナマエは自分の体の中の恐怖が妙にざわつき暴れている事に気付いた。ドキドキと、心拍数が早くなる。――相手は幽霊なのだ、`なにが’あっても可笑しくないではないか。そう思うとますます体が強張った。

「ナマエさん?」

 前方を歩いていた総司が体ごと振り向いた。
 その顔を見た時、ナマエはあまりの緊張に心臓が止まるのではないかと思った。知らず知らずのうちに恐怖を体に纏わせていたのかもしれない。
 総司はナマエの目をじっと見、一度目を伏せると静かに息を吐いた。

「吃驚させるつもりはなかったんです」
 再び目を開けた総司の瞳には優しさが滲んでいた。
 その顔を見た時、恐怖とはまた別の場所がじわっと熱くなるのを感じた。一歩ずつ、総司はナマエの元へ歩み寄る。
「余り無理をさせたくなくて」
「え?」
「慣れない履き物でしょうから」

 その言葉を聞いた時、ナマエは胸の中がたまらなく熱くなった。心の中にあった恐怖が焼き尽くされたような感覚がした。同時に恐怖を感じたことを恥ずかしく思った。
 総司なりの配慮がとても嬉しかったのだ。
「ありがと、う」
 その一言に、精一杯の気持ちを添える。
 総司はナマエの少し手前で立ち止まるとふわり、と微笑んだ。
「いいえ」

 ナマエはその笑顔にこたえるようにぎこちない笑みを浮かべた。彼の優しさに胸が熱く苦しくなった。

 そんな気持ちを押し込めるように辺りを見回した。
 どうやら稲荷さんが祀ってあるようだ。正面に鳥居、その手前にナマエを見据えるように狐が対に鎮座している。石畳の続く向こうにはこじんまりとした社がある。その周りは草や木で囲まれている。
 ナマエが鳥居の方に向かおうとすると総司が引きとめた。

「なに? こっちに行くんじゃないの?」
「こっちこっち」

 鳥居すらくぐらず草の茂った脇の方へと向かう。
 砂利を踏む一人分の足音が響く。
 草があたらないよう食べ物や服に注意しながらあるく。
(こういう配慮は浮かばないんか)
 あいだをくぐり抜けながらナマエはそう思った。思いながらも心の中は何かを総司に期待している気がした。

 草をかき分けた先は崖になっていた。
 崖下には先ほど歩いてきた道や、電灯、家々の明かりが見え、その先は暗い海の中に点在する漁船の明かりが光っていた。
「きれい」
「ここなら私も花火を見れます」
 横を向けば総司がナマエを見てにこにこ笑っていた。
「ナマエさん、この石に座ってはどうですか?」
 総司がナマエのやや後ろに視線をずらした。追うようにナマエも見やると、草の傍にちゃぶ台ほどの大きさはある石があった。それは刀ですぱっと切られたように表面が平になっていて、ナマエが腰掛けるのに具合が良かった。
 総司の言葉に甘えて腰を掛ける。そして手に持っていた食べ物が入った袋や巾着を石の上に置くと暫し休憩することにした。

 そうして今、花火を一緒に見ている。
 草叢に腰を下ろした総司と一緒に明るく光る空を見上げる。
 屋台でたくさん買った食べ物は石の上に広がったまま。

 ナマエはそっとたこせんべいを齧ったが、喉がカラカラだからか、咀嚼したもののなかなか飲み込めない。慌ててペットボトルのキャップを外して喉を潤す。口の中にひっついていたせんべいの欠片が液体と共に流れていく。
 そんな様子を見られていないかとナマエは総司の方をちらりと窺った。どうやらそれは杞憂だったらしい、夜空にキラキラ光る花火を楽しそうに眺めている。
 総司が此方を見ていなかった事に安堵している傍ら残念に感じている自分がいた。そんな自分がよくわからずナマエはさらに焼きそばに手をつけようと輪ゴムを外しプラスチック容器を左手に持った。片手で器用に割り箸をわる。一口頬張ると、冷めてはいたが麺と野菜にソースが絡まっていて美味しかった。もう一口、と箸に麺をはさむ。
 菊のような大きな花が夜空に咲き、暫くしてからドン、と大きな爆発音が響いた。
「ナマエさん、私この花火好きです。菊みたいじゃないですか」
 ふいに総司がこちらを見た。
 ナマエは総司が此方を向いた途端、箸に挟んだ麺を口に運ぶのが恥ずかしくなった。お腹は空いているのになかなか持ち上げられない。挟んでいた麺を戻すと野菜をつまんでは戻しながら口を開いた。

「菊っていうんだよ、この花火の名前」
「へぇ〜そうなんですか」
 ナマエの言葉に嬉しそうな声を漏らすと、再び総司は正面を見た。
 途端ナマエは麺を口に含みたくなった。そんな自分がよくわからなくなりナマエは眉間を寄せる。――一体何だ。とりあえず箸を置き、焼きそばの容器の蓋をすると石の上に置いた。
 草むらにくると思っていなかった為、踝のまわりが既に痒い。恐らく蚊にやられてしまったかもしれない。家に着いたらキンカンを塗ろう。

 何発もの花火が辺りを昼間のように明るくする。
 ちらりと総司の横顔を覗いたとき、ナマエは彼のその表情に胸が締め付けられた。
 目を少し細くし、それでいて視点がぼやけていて、口元はほんのり笑っている。

「ねぇ総司」
 火薬の爆発する音に消えそうなくらい、小さな声で呟く。

 それでも総司はナマエの呼ぶ声にすぐ反応した。空に煌めく花火からすぐにナマエの方へと顔を向ける。
「はい?」
「今、何かを思い出してなかった?」

 おそるおそる、総司を配慮しながら。
 ナマエがそう尋ねると総司は目を見開き驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻すとくすくすと笑い出した。
 笑い出した総司を不思議に思い、ナマエは眉間を深く寄せた。

「え? 笑うところ?」
「いえ、ナマエさんが私のことをよく見てるなって思ったんです」
「べ、別によく見てないよっ!」
 何だか恥ずかしくなり頬が熱くなる。
「当たってますよ。生前の事を思い出していたんです」
 総司の声や口調が、何かを懐かしむようなものにかわった。ナマエは総司がどんな事を思い出したのか知りたくなり、続きを促した。
「なにを、思い出したの」
「昔、皆でこうやって花火を見たことを」
「みんなで?」
「ええ、新撰組の皆ですよ」
「いつ? どんな人たちと?」
「そうですね、近藤さんと土方さんと山南さんとサイゾーと」
(あ、また出てきた。サイゾーとひじかたさん)
 そんな事を心の中で呟きながら、ナマエは総司の口からこぼれる昔噺に耳を傾けた。
 彼らの話をする総司は見るからに嬉しそうだった。
 ナマエはますます興味を駆られ、花火そっちのけで総司の言葉を聞いていた。

 小さな花が咲いて散ったあと、今までとは違う小さく強い光が下方から空へと上がってきた。
 その光は星にも届くような勢いで飛ぶと一瞬姿を消した。瞬間、夜空に大きな牡丹が咲き、ドン! という音が空気を割った。
 総司の話ばかりに気を取られていたナマエも、思わずその光に魅了され息を飲んだ。

「綺麗ですね」
「うん」

 話をとめて、総司は未だ光の残像が残る空を眺めた。ナマエも同じように今もなお花が枝垂れていくような残像を見た。

「綺麗ですよ、ナマエさん」

 その言葉に総司を見た。昔噺をしていた時の嬉しそうな表情は消え、どこか妖艶さを含んだ瞳がナマエをじっと見つめている。
 ナマエはその視線と言葉に思わず胸が高鳴る。心臓が早鐘を打ち、呼吸すらままならない。
 身体すべてが心臓になったかのように、ドクンドクンと大きな音をたてた。
 絡まった視線を外さず、総司はそのまま体ごとナマエの方へと向いた。そうしてナマエの頭からつま先まで見ると、此方へ近づいてきた。

「本当に残念です」
「なにが」
「あなたが私の生きていた頃にいなかったのが」

 言葉の意味を理解できず、ナマエは返事が出来なかった。

「生きていたら、きっと土方さん達と仲良くしていたかもしれませんね」

 その言葉は少しも甘さを含んでおらず、けれどナマエの胸を締め付けるには十分だった。
 静かに視線を逸らした総司はナマエの耳元に口を寄せた。

「私とも、仲良くしてくれましたよね?」

 耽美な声に、ナマエの身体は粟立った。顔が火照ってくるのは夏のせいだけではない。
 頭が真っ白になったナマエは、口を空気を求める金魚のようにパクパクさせながら微かな声を漏らしていた。

(すごい、天然)

「ナマエさん、そろそろ帰りましょう」

 そうして総司はナマエのそばを少し通り過ぎる。
 慌てて振り向くと、総司がこちらを見て立っていた。その瞳はかわらず優しい。
 ナマエは慌てて石の上の食べ物を片づけながら、ふと思い出して総司に声をかける。

「総司、これ食べる?」
「はい?」
「総司の分、考えて買ったんだけど」

 その言葉に今度は総司が少し苦しそうな表情をした――が、それはすぐに消え、嬉しそうに笑んだ。

 本当に、残念だ。

「ありがとうございます」
「ここに、開けておいておくね」

 ナマエの言葉に静かに頷く。そしてナマエが総司の元に駆け寄ってきてから家路への道を歩いた。

 

 


2012年 11月 27日- 2013年 2月 18日