01 : 便箋と筆を持つ

01 : 便箋と筆を持つ

 

 

 蒸し暑い日々の続く夏だった。
 青空の中、大きな積乱雲が東の空を浮遊している。その形は大蛇が敵を威嚇するために横隔膜を張った形に似ている。その形状は時間の経過と共に崩れた。
 ナマエは縁側にだらしなく垂らした足を地面にバラバラに投げたビーチサンダルをはめ込むと地面を蹴った。
 昔の家、今では大和屋敷にちなんでお化け屋敷と呼ばれるようになった家を見上げる。瓦に艶はなく、年季ものという証拠に小さな掠り傷の集まりによってできた凹みなどが見える。

 祖母の家に泊まり始め、はや二週間。
 台所とお風呂、トイレが部屋から離れていることには慣れた。移動するのに靴を履かなくてはいけないことにも慣れた。
二階に上がる際に使う階段がのぼる度にギシギシと音を立てることにも恐怖を覚えなくなった。夕方、まだ明るい時間帯だというのに、彼女の祖父母の家は夕飯の支度を始める。
 ここに一人で泊まりに来たのは生まれてはじめてである。
 初日はいつものように座っていると祖母に叱られた。それから、時間になると、ナマエは厨に居る祖母まで駆けるようになった。

「今日は蔵に野菜を採りに行って来てほしいんさぁ」
「うん、わかった」
は頷くと、厨の裏口から出ると、ぐるりと家を一周し、裏手に回った。この家は本当に大きく、古い。

 昔悪さをした子どもはこの蔵に閉じ込めていたと祖母は言っていた。
 はそれを冗談か何かだと思っていたようだが、その悪さをした「父」が蔵に一晩放り込まれ号泣し、心機一転したという話を叔父に聞いてから態度が変わった。
 この蔵は本当に古いらしく、板目から、長い年月によって作られた穏やかさのある独特とした香りが漂っている。この蔵の入り口は今も昔も変わらず、入り口の鍵として羽目板を使っている。ナマエは嵌まっている長方形の板を上に持ち上げると鍵を外した。そうして地面に置く。祖母から手渡されたボウルを片手に一歩中へ踏み出した。
 中は夏の空気を感じさせない、凛とした冷たさにも似た涼しさがあった。蔵は二階建てのようで、梯子を用意して上に上がれるようだが、生憎夏喜のようのある場所は蔵の入り口のみのようだ。
 祖母に頼まれた野菜を人数分ボウルに放り込む。

「ちょっと多すぎじゃないですか」
揶揄を含ませた言葉を発する、凛とした声。は鼻で息を吹くと、首を振りながら作業を続ける。

「別に、総司に関係はないでしょ」

 そういって顔を上げる。視界には誰も居なかった。蔵の外にいるのだろうかと思い、ふと外を見遣る。
「こっちですよ、ナマエさん」

 夕刻だというのに、まだ赤色にもなっていない空を映した目を蔵へ戻す。

 ナマエはじっと中を見つめると、二階の板の端に腰を下ろしている彼が目に映った。――新撰組で一番隊隊長を勤めた沖田総司である。

 彼は幽霊だ。
 ナマエが今まで霊感が強く見えていた性質という訳ではない。
 ただ、一人で祖父母の家に訪れた数日後に彼は所在無い感じを見せずに、の前に現れた。――それが当たり前のように。
 彼の今の服は白の着物に紺の縞模様の袴で、にとってそれは見ていて暑苦しいものである。

 相手を見つけたはそのまま作業を再開するために腰を屈める。人参、ジャガイモ、玉葱と順番に砂を払ってはボウルの中へ。いつ降りたのか、総司は彼女の斜め前に立つと、小首を傾げた。
「今日の夕餉は何なんですか」
「さぁ、おばあちゃんに聞いてちょうだい」
 当然祖父母の料理のため、この材料で「カレー」や「コロッケ」ということにはなりそうもない。
 ナマエの予測が正しければ、肉じゃがか煮物になるだろう。差し詰め検討はついているが、総司に言っても意味がないと判断したナマエは蔵から出ると、羽目板をし、草刈のされていない道を歩いた。

 さくさくと歩く音と共に聞こえる風に靡いて揺れる草の音。

「どちらに行かれるんです」

 裏の蔵から台所の玄関に向かうと思っていた総司は、慌てて彼女の後を追う。

「川で洗うの。ここは昔のまんまだから、それを活かしたいし」

 彼女の言葉に総司は目を丸くさせると、くすくすとやわらかく笑んだ。
 その笑い声を聞いたナマエは馬鹿にされたと思い、顔を顰めて後ろを振り向く。振り向いた先の総司は肩を揺らしながらナマエを見て笑っていた。

「なによ」

 口先を尖らせ、不満げに総司を睨み見上げる。総司はその視線を受け止めると、咳払いをし、もう一度を笑んで見た。

「素敵な考えですね」

 総司はにこりと一笑し、を追い越す。
 追い越した際、向かい風に揺れはためく彼の着物の裾が、ナマエに近づいた。
 腕に当たる、そう感じた瞬間――彼女はただ風に撫ぜられるような感触が肌にじんわりと溢れた。

(なんだ、冷たくないんだ)

 彼の裾に触れた腕は、ちりちりと微かな熱を持っていた。

2007年 XX月 XX日