夢まぼろしを散らかして

夢まぼろしを散らかして

 

 

 ちょっと一服してくる、と愛用のライターとひしゃげた煙草の箱を手に硝子が立ち上がった。倣うように悟が俺もお菓子取ってくるわと部屋を出ていく。部屋の主である夏油はいってらーと片手を上げ見送った寝間着の同級生を見た。彼女はどこにも行かないようで、目の前のアンバランスな塔を眺めていた。
 夏油は部屋の窓に視線を移す。カーテンの僅かな隙間から見える暗闇の向こうでは、今まさに嵐が通過しようとしている。
「結構ヤバくなってきたね」
 自身のベッドを背凭れにしている彼女に話しかけられて、夏油は視線を戻した。
「ここは天元様の結界が張ってあるから大丈夫だよ」
「え?」
 斜め前に座っている彼女の目がきょとんと丸くなる。かけられた言葉の主語が違っていたらしい。見下ろす小さな頭が合わせていた視線をすっとずらした。彼女の目線の先を辿れば、なんのことかすぐに分かった。
「ジェンガのことだったんだね」
 うん、と彼女は頷く。確かに大分下の部分が歯抜けになっていて、上に密集して積まれているブロックとのバランスが非常に悪い。悟が重点的に下側を抜いていたからね、と夏油は要因を振り返った。
 ただ一本抜いて重ねるだけの単純で純粋なゲームをしていた筈なのに。誰が提案したか、いつの間にか崩してしまうことにペナルティがついてしまった。遊びが本気になり時間が長引くと、気楽だった周囲の雰囲気も変わってくる。そう易々とこのジェンガは崩してはいけない、今はピリついてまではいないけれどそんな空気になっている。
「秋の台風だもんね。硝子、外で吸ってて大丈夫かな」
 彼女がぽつりと溢した友人への思慮に、ほんの僅かな嫉妬を抱く。その感情をこちらにも向けてくれたらいいのに。夏油は腹の底に沈殿している同じような感情に、今浮かんだ感情を落とした。そうして、心配だね、なんて思ってもいない薄っぺらい相槌を打つ。
 四人で囲んでいたジェンガの回りに散らかった各々の荷物とお菓子とペットボトル。彼らが帰った後に片付けるのはこの部屋の主である夏油の役目になるだろう。今のうちに片付けておこう。
 悟が座っていた場所に落ちている個包装の菓子袋をゴミ箱に放っていると、彼女が硝子と先月出掛けた時の話をし始めた。どうやら、プラネタリウムを見に行ったらしい。
「硝子とデートしちゃった」
 妬けるくらい目尻を緩めて嬉しそうに笑う。それから、夏の大三角形の話をし始めた。デネブとベガとアルタイル。後ろ二つは日本では彦星と織姫という名前で有名な星の話だった。
「傑に問題。今は天の川の端にいる二つの星だけど、これから先、時が経てば二人はどうなっていくでしょう?」
 明眸が夏油の回答を待っている。夏油は実はそのほんものの答えを知っていたけれど、彼女の望む言葉を口にすることにした。
「会えるのかな」
 ナマエはしたり顔になった。その顔が見れるなら、いくらでも君の望む答えを言ってあげるよ。なんて夏油は思う。
「残念。正解は、時間と共にますます離れていくんだって」
「へえ、星座なのにロマンチックじゃないね」
「星はリアリストだよね。二つの星は地球からは近く見えるけど、実際は光年数が全然違うから、近い方の星が動いちゃうみたいだよ。話聞き終えて硝子と帰るとき、なんだか夢から醒めちゃった気分になった」
 他の季節の大三角形も、時と共に三角形が崩れていくらしいしね。危うく口から溢れそうになって、夏油は寸でのところで止めた。きっと彼女が話したいのはそうじゃない。自分の夢を潰された悲しみを打ち明けてくれたんだろう。
「私たちは天文学者じゃないから、いつか近づくと思っていてもいいんじゃないかな」
 実際の星座がどうだとか、そういう話は地球のビッグバーンや生命の誕生まで遡れば現実が見えてくる。なら、ロマンを思いたい当人たちだけで楽しんでいればいいんじゃなかろうか。
「傑もそう思ってくれる、ってことなの」
 彼女のやけに固い声と、どこか落ち着かない面立ちに眉を潜めそうになったとき、奥でドアノブを捻る音がした。ガラリと引き戸が引かれて顔を上げれば、一服し終えたらしい硝子が少し煙の匂いを携えて戻ってきた。彼女は上半身を捻り、帰ってきた友人を見上げている。
「おかえり」
「五条は?」
「悟はまだだよ」
 硝子が扉を閉めて、ジェンガを挟んだ夏油の向かいに腰かけようとした瞬間、部屋の電球の灯りが消えた。硝子がスイッチを押したわけでもない。
「わっ停電?」
 斜め前でナマエが驚いた声をあげた。風が強かったのかもしれない、どこかで電柱が倒れたか、電線同士が接触したか。
 明かりについては携帯を取り出せばいいだろう。ポケットから携帯を出そうとした時、夏油の膝元に何かが当たった。違う、乗ったのだと気がついた。暗闇のなか、そっとその正体を確かめようと手を伸ばせば、やけに熱い手のひらだった。ナマエの手だと認識するより先に、頬に柔らかいものが音もなく触れた。突然のキスの意味も理由もわからない。けれど夏油も闇に乗じて、そのまま彼女の顔を真正面に捉えて口づけた。傍に硝子がいるというスリルに、割りに合わず心臓が少し高鳴った。
 ガシャン、ガラガラ。積み木の激しく崩れ落ちる音がして、すぐに捕まえていた頬を離した。膝に乗っていた手が離れていく。
 パッと俄に左側が眩しくなった。硝子が折り畳まれた携帯画面を広げたらしい。亡霊のような硝子の青白い顔が浮かんだ。
「あーあ、崩れたな」
「そうだね」
 夏油は何事もなかったようにポケットから同じように携帯を取り出した。それから硝子と同じように顔を照らし、ジェンガにライトを向ける。
 ガチャリと再び扉の開く音と共にただいまと引き戸越しに呑気な声がした。どうやら悟が帰ってきたらしい。ガラリと引き戸が引かれる音がした。停電したね、と言っているのに、何かにぶつかる音も立てずに、彼は夏油の隣りまでぐるっと回って来た。腕から聞こえる音からして、大量のお菓子を持ち帰ってきたらしい。
「ジェンガ潰れてんの? じゃあ四谷怪談でもする?」
「季節考えなよ、もう秋だから」
 硝子が切り返す。パン、とすぐそばでお菓子を開封する音が聞こえた。部屋の匂いが煙草から甘いキャラメルへと変わっていく。
「オマエら何かあった?」
 暗闇のなか問いかけられた言葉に別に、と答えたのは硝子だけだった。

 


2021.9.21
タイトルは『afaik』様より拝借。
Twitter「#juju版深夜の真剣夢書き60分一本勝負」お題:崩れる に投稿したものを加筆修正しています