キラキラしていた

※『絆創膏だらけの君の指』の出会い編です。中途半端に終わっていますが、これ以上先はありません。
藤代一家を捏造しています。苦手な方はご遠慮下さい。

 

 
キラキラしていた
 

 

 藤代家の母は、面倒見が良すぎることで家族内では有名である。
 どんな人も受け入れてしまう度量の大きさ、困っている人を見たら放っておけないお人好しさ、どんな人でも献身的に支えることが出来、そこに見返りを求めない無償の愛は、正に母の鏡だ。
 そんな母親に育てられた息子二人は、愛情を沢山注がれながら大きくなった。しかし、何故かそんな母親に育てられたハズの二人なのに、どうやら父の血が濃かったらしい。
兄は置いておいて、弟は自由に成長した。兄のお下がりのようにはじめたクラブサッカーは、気付けば兄よりも才覚を認められるようになる。周囲の期待に素直に応えられる度量の大きさは、母譲りだろうか。素直というよりは正直者で、思った事を何でも口から出してしまう。
 そんな彼が親元を離れ、サッカー強豪校である私立学校の学生となり、それなりのサッカーの成績と知名度を上げて5年。

「たっだいまー…」

 夏の帰省に我が家の戸を潜れば、何故か四人家族には多すぎる靴が玄関に溢れていた。
 自分の家なのに、何故か客人の気分だ。
 入って正面に見える二階へと続く階段と、居間へと続く廊下の向こう側が何やらガヤガヤ騒がしい。
 大きな荷物を背負ったまま、靴を脱ごうと試みる。少し土埃のついたスニーカーはすぐに脱げた。
 懐かしい廊下を歩いて、いつも家族で集まる居間へと向かう。
 居間と廊下を隔てる障子は全開だった。ひょっこり顔を覗かせれば、母の友人らしい人たちがわいのわいのと楽しそうに雑談していた。

「こんちはー」
「あらぁ誠二くん!」
「おかえり、また大きくなったんじゃなぁい?」
「あら本当! うちの子なんか全然大っきくならないのよ」
「もしかしてもう誠一くんより大きいの?」

 ぴーちくぱーちくと姦しい主婦達に呆気に取られていると、台所の方から母が顔をのぞかせた。

「あら誠二おかえり、帰ってくるの今日だった?」
「今日って言った」

 学校では明るくノリのいい高校生だが、家でそんなものは必要ない。社交性をペリッと剥がした誠二は、つっけんどんな言い草で返した。
 ただし、一応年を少しでも重ねただけあって、周囲への気遣いはできるようになった。

「あっそう。着替えてきたら」

 久方ぶりの顔合わせだと言うのに母は素気ない。一言言うなり台所に引っ込んでしまった。
 顔を見せてしまえば後は用もない。とりあえず居間にいる主婦達に愛想笑いを振りまいて、二階の自室へ上がることにした。
 部屋へ入れば、長い間空けていたのに、部屋には埃一つついていなかった。母はああ言ったが、日頃から誠二のことをちゃんと気にかけている証だ。
 そんな事とは本人は知らず、当たり前のように床に鞄を置いて、フィルター掃除のされたエアコンにスイッチを入れる。
 帰り道に掻いた汗でべっとりした服を脱げば、肌に直に感じる冷気に心地よくなる。そのまま半裸で箪笥の中から適当な紺のTシャツを引っ張り、白地に水色のストライプが入った半ズボンを履く。以前履いた時は、丈が膝頭の上あたりにきていたが、今は剥き出し状態だ。中学から高校へと上がってもなお、この身体は成長が止まることを知らないようだ。
 そういえば制服のシャツも小さく感じるようになった。先輩の三上からはつんつるてんと鼻で笑われてしまった。

 まぁしかし、そんなことは今どうだっていいのだ。

 誠二はごろりと布団の上に寝転んだ。そうして久しぶりの自分の部屋の天井をぼうっと眺める。
 木の板の並んだ天井の木目は、何も考えずに見れば何処かに絵が見えてくる。それが次第にぼやけてくるのを待ちながら、そういえば彼女と遊ぶ約束をするのをすっかり忘れてたことに気付いた。
 他校のサッカー部でマネージャーを努めている彼女とは、最近持ち始めた携帯でメールのやり取りをしている。互いに契約会社が違うから、絵文字なんてものは存在しない。
 制限された文字数で収まる誠二と、収まり切らないと言う彼女。その理由を性格の違いだと今は乗り切っているが、きっとそうではない。
 その事に誠二自身気付いている。それでも自分から別れを告げる気はなかった。納得がいかない、そう言ってきっと食い下がってくる――厄介な事になるのは目に見えていたからだ。
 メールが来ていたのに返事をしていなかったなぁ、と思った頃にはすっかり身体は重たくなっていた。
 入った時は熱気のこもっていた部屋が、今は誠二の身体の熱を取るように涼しい。
 まぁいいか、と考えたのは眠りに着いたあとだった。

 

 

 

『くそっ!』

 どこかで誰かが地面を蹴っていた。悔しそうな後ろ姿を見つめながら、そういえば試合に負けたのだと思い出した。
 三上の肩を叩く渋沢の手。顔をあげれば、その顔には悔恨の念が刻みこまれている。
 ――声を掛けに行かなければ。
 そう思うのに、身体が上手く動かない。何故か気持ちと相反するように足の力が抜けていく。
 そうして、気づけばずるずるとその場にへたり込んでしまった。

 ――まだ行けるのに、まだ、ボールを貰いに行くのに。

 口から漏れたのは苦しい呼吸の音だった。

『何やってんだバカ』

 急に腕を持ち上げられた。顔を向ければ、三上が険しい顔つきで誠二を見ていた。
 恥ずかしい格好をするな、早く立てと力強く引っ張る。その腕に従いたいのに、力が入らない。
 ふと足を見れば、何故か靴が脱げていた。レガースが少し見えている靴下の向こう側が透けて見えた。
 右足首の内側が、瘤でも出来たかのようにぽこんと青黒く膨らんでいる。まるで、踝が内側にも出来たように。
 サッと全身から血の気が引いた。誠二の目はあらん限り見開きその一点をただ凝っと見る。

 叫びたいのに、声が出ない。

 

「……ゆめか……」

 夢見の悪さに目が覚めても暫く起き上がることができなかった。

 

 

 

 昼過ぎに帰宅したのに、気付けば夕方だ。よく寝た、とベッドの上で伸びをする。

「よっと」

 勢いをつけて身体を起こし、部屋を抜ける。廊下の空気は生温く、冷えた部屋から出たばかりの誠二にはあたたかく感じた。
 階段を降りて行くと、玄関にあった大量の靴が消えていた。あの人たちが、それぞれの家に夕飯の支度をしに帰ったのだろう。
 居間に顔を覗かせれば、畳の部屋で母親がテーブル越しにテレビを見ていた。

「あの人たち帰った?」
「帰ったわよ。誠二、お願い、ちょっと買い物行って来てほしいんだけど」

 母親からの願いに、露骨に嫌そうな顔をする。

「えー、親父に頼めばいいじゃん」
「もう家着くんだって」

 肩を大袈裟に下げて、誠二は渋々買い物に行くことにした。

 

 

 たかだか近所のスーパーへ行くだけでしょう。
 洗面所で寝癖のついた髪をセットしていると、お金を渡しに来た母親がそう言ってきた。誰に会うかわかんないじゃん、と誠二は唇を尖らせ反論した。そうして差し出されたお金を受け取り、家を出た。

 ポケットの中に直接入れた小銭がチャラチャラと音を立てている。
 夕暮れ時だというのに日が落ちた町はいまだ明るい。空は明るく、雲は陽の色に染まっている。
 道路も歩道も同じ狭い家路を歩いていると、サラリーマンや黒く日に焼けた小学生達とすれ違った。
 ふいに、遠くから歩いてくる女性が、誠二の視界に入り込んできた。容貌からなんとなく誠二と同じくらいの人だと思いながら見ていた。が、その表情に思わず目を奪われる。

 彼女は泣きながら歩いていた。声もなく、手で拭うでもなく、ただただ静かに涙を流していた。なのに、その目は光を宿していた。
 負けるものかと、どこか逆境に挑むような芯の強い目で凝っとこちらを見据えている。

 誠二はその目に心の奥をつつかれた。――あ、俺こういう人が好きだ。
 矜持がただ高いのとはまた違う、負けても負けても何度も喰らいつこうとする挑戦者の目だ。
 名前も素性も知らない目の前の女性に、誠二の関心は一気に向けられた。
 こういう人が、どういう人物なのか知りたい。――彼女になってほしい。
 沸いた感情の理由は、暗に今の彼女に退屈しているからだ。今の相手と正反対の性格だろう相手を見つけて求めているだけ。それくらい、誠二だって自分の感情をコントロールすることはできる。
 すれ違ったあと、誠二は沸き上がった関心に知らぬふりをして、スーパーへと向かった。

 

 

 ビニール袋を手にぶら下げて家に着くと、玄関には新しく靴が並んでいた。父親と兄が帰ってきているのだろう。その隣りに男性にしては小さなスニーカーがちょこんと並んでいた。

「ただいまー」

 ビーチサンダルを脱いで、中に上がり込むと、居間の方から父親の声が聞こえてきた。続いて二階から兄の声。やはり二人が帰ってきたのだろう。
 ドンドンと足音を鳴らしながら居間へと向かえば、父親がTシャツに半ズボンを履いて、竹でできた座布団の上に座っていた。缶ビールをグラスの中に注ぎながら、誠二に笑顔を向けた。

「おかえり」
「親父もおかえり。てかさ、これくらい買ってきてくれてもいいじゃん」
「もうスーパーの前過ぎてたんだよ」
「そう言ってさー酒買ってきてんじゃん」

 じとっと見れば、父親はへらっと笑った。その笑い方は誠二がよく学校でなにかをはぐらかす時に見せる笑い方とそっくりだ。

「誠二、買ってきてくれたー?」
「おー」

 台所から母親の声が聞こえて、誠二は居間を後にした。
 昔ながらの家造りの藤代家は、居間の扉もない狭い戸口を通じて台所がある。サザエさんの家を想像してもらえればいいだろう。
 買ってきたものを差し出そうと潜り戸を抜ければ、何故かそこには母親ともう一人女性が流し台の前に立っていた。
 先程のスニーカーの人か、と誠二が一人勝手に得心しているとこちらに気付いたのか女性が振り向いた。

 あっ、と思ったのも束の間、誠二が驚いた顔を見せたにも関わらず、彼女はふんわりと愛想のいい笑みをこちらに向けてきた。

「こんばんは、お邪魔させて貰ってます」
「こんばん、はー」

 スーパーへ向かう道のりで見かけた泣いていた女性だった。
 先程とは打って変わり、ニコニコと人の好さそうな顔で自分の母親と並んでいる。
 この人は一体誰なのかわからないし、まして母親とどういう関係なんだ。
 不思議に思っているのが顔に出ていたらしい。母親は振り向いて女性に流し台を任せると誠二の持っている袋を受け取った。

「この子はミョウジさん。お母さんが行ってる美容院で働いてるの」

 紹介されて、彼女はお米を研ぐ手を止めて首だけ捻ると誠二に頭を下げた。

「ミョウジです、藤代さんにはいつもお世話になってます。息子さんの事も色々聞いてます」
「やだナマエちゃんったら。この子は誠一の弟の誠二、今こっちに帰ってきてるの」
「あ、確かサッカーが上手なんですよね?」

 話を振られ、誠二は口を開いた。しかし、そこは饒舌な母親が誠二が割り込むことを良しとしなかった。

「そうなのよね。サッカーだけは気づいたら誠一より上手くなっててねえ…ナマエちゃん、誠二と仲良くしてやってね」
「はいっ」

 話に入っていけず、ただ立っているのもおかしな気がしてきて誠二は台所を後にした。
 居間では父親が野球中継を見ていた。こういう時サッカー中継をしていないのは誠二にとって不満に思う事である。ポケットから小銭を掴み、レシートと共に足の短いテーブルに置くと二階の自室へ戻った。

 エアコンを点けっぱなしにしておいたお陰で部屋の中は冬のようだった。快適な空気の中再びベッドに寝転がろうとして、そういえば携帯を触っていなかったことに気がついた。大きな鞄の中を漁って見つければ、それは何色もの色を交互に点滅させていた。サブメニューから確認すればメールと着信が数件入っていた。
 着信メールも電話も彼女からだった。内容は全て同じ事を別の言い方で書いてある――休みなんだから私を構って。大体がそんなところだ。
 面倒くさくなり、携帯を閉じた。
 折角寛げると思って実家に帰って来たのに、どうして彼女に気を砕かなければいけない。こう感じている時点で、誠二の中の彼女への評価は低い。
 台所に立っていた彼女を思い出した。
 まさか、あの道端の彼女とこんな形で再会することができるなんて思いもしなかった。思いもよらない偶然に誠二はほんの僅か気持ちが躍っていた。しかし、母親行きつけの美容院の若いスタッフが一体どうして。
 思案に耽っていると、戸を叩かれた。

「えっと、誠二くん?」
「えっ?! はい!」

 母親とは別の戸惑い気味な声に誠二は驚いて寝ていた体を勢いよく起こした。

「今、大丈夫かな?」
「あ、と」

 窺うような声に、咄嗟に扉を開けた。
 廊下に先ほどまで母親と仲良く喋っていた彼女が立っていた。初対面だからか、少し緊張している気配を感じる。

「藤代さんから、せっかくだから誠二くんとお話しておいでって、言われて」
「はぁ…あっそうなんだー」

 誠二が戸惑っているのと同様に、彼女自身も十分狼狽えている。どう考えても同じ年ごろと言っても高校生くらいだと変に意識してしまう。
 よその家で自分の家のような面をする人よりはマシか。
 自室を振り向けば、帰って来たばかりで散らかっていない部屋。

「じゃあ、入る?」
「あの、大丈夫…?」
「ん、へーきへーき」

 誘うように促せば、彼女はおずおずと部屋の中へと入ってきた。
 扉を閉めて、振り向けば所在なさげに部屋の真ん中で彼女は立っていた。

「あ、てきとーに座ってって言っても直に座るのもなぁ」
「ううん、平気だから」
「ベッド座る?」
「ううん、床に座るから」

 そう言って彼女は誠二のベッドを背もたれにするように床に腰を下ろした。
 誠二も隣りに並ぶように床に腰を下ろした。本当はベッドに座りたかったが、そういうわけにはいかないという事を、武蔵森学園で学んだ。
 沈黙が流れ、互いに何から話しだそうかと言葉を探る。

「あの、誠二くんって馴れ馴れしく呼んでごめんね」
「別に大丈夫っすよ、うちに居て藤代さんって言っても誰の事かわかんないし」
「ありがとう、誠一くんもそう言ってくれたの。やっぱり兄弟だね」

 肩越しに見えた彼女の横顔は伏し目がちで、瞼が閉じた目元のあたりがほんのり赤くなっていた。

「兄貴とも、話した?」
「誠一くんも、藤代さんと同じでお店に来てくれるからお話するの」
「そっかー……ねぇねぇ、俺もナマエちゃんって呼んでいい?」

 人懐っこく尋ねれば、彼女は目をぱちりと瞬かせて、それからいいよ、と笑った。
 目元の赤が桃色になる、瞳の中にキラキラと星屑が散りばめられたように一瞬見えた。

 話を聞けば、彼女は誠二よりも一つ年上だった。中学を卒業して美容師になるべく母親の通う美容院へ見習いにやって来た。家が大変だったから、高校へ進学するのを諦めたとか。
 そんな彼女の事情を聞いた誠二の母親が不憫に思い、彼女を食事へよく招待していた。そういう人を放っておけないところが藤代家の母らしい。

「どこに住んでんの?」
「この近くにオーナーが部屋を借りてくれているの」
「今ってもう髪切ったりしてんの?」
「ううん、そんなの無理だよ。お店じゃまだ切った髪を掃除したりシャンプーしたり。今、専門学校に通わせて貰ってるけど、そっちでならマネキン相手に切ったりもするよ」

 土日に美容院、平日は通信課程のある専門学校、の往復だそうだ。
 体力が保つものなのだろうかと思っていれば、彼女は力こぶを作って見せた。
 半袖の隙間から覗く白い肌よりも、誠二は彼女の手に目が奪われた。自然と腕が伸びて、手を握っていた。
 驚き戸惑う彼女をよそに、誠二は荒れた指を凝っと見た。掌は新しいものから古いものまで切り傷の跡が走っており、指先は荒れて全体的に腫れている。節は赤く腫れ、切れ目に血がうっすら走っていた。

「すご、なにこの手」
「水仕事だから、どうしてもなっちゃうの」

 醜いね、と言って手を引っこめようとした彼女の手を、誠二は手元に寄せた。

「そんな事ない」
「そう、かな」
「だって職人の手じゃん。俺、カッコイイって思う」

 真面目な顔をして言えば、困ったように、けれどどこか嬉しそうに彼女はありがとうと言った。
 階下から母親がご飯が出来たと叫んだ。

「行こっか」

 立ち上がろうとした彼女の手をそのまま引っ張る。扉へ向いていた目が一瞬強張った気がした。その目と合う。

「後でばんそうこう貼ってあげる、また部屋に来て」
「……うん」

 すぐに表情を和らげて、彼女は頷いた。
 結局、その日彼女の手を再び触ることはできなかった。

 

 

 


title:fynch
[2014年07月17日]