夏の六題

夏の六題

夏隣に揺れる陽だまり (笛/三上) | 梢の夏にもう一度だけ (PM/沖田) | 夏梅は海風に誘われて (笛/若菜)
夏木立に君が消えてゆく (笛/真田) | 夏陰で汗ばむ首筋に (笛/藤代) | 夏の小袖でございました (笛/藤代)

………..title by fynch

 

 

 

 

 

夏隣に揺れる陽だまり (三上)

(2001年)
※高校生

「っくしゅん、っくしょい!」

口を塞ごうとした手が間に合わず、飲み込みきれなかった唾が空を飛んだ。

「……しんっじらんねー」
「あ…ずびばぜん」

目の前の男子の制服に見事飛んでいってしまった。恐る恐る顔を上げると、本と生徒手帳を片手に持った三上くんがとてつもなく苦々しそうな目で私を見ていた。
ここは図書室で、私は図書委員。そして目の前の三上くんはこの本を借りようとカウンターであるここにやってきた。
私は慌ててポケットからハンカチを取り出すと椅子を立ち上がり三上くんのシャツを拭った。
「ぐず・・あの、私、花粉症で」
「だろーな」
「くじゃみど、鼻が」
「おう、見たまんまだろ、わかった」
そう言って三上くんは私からハンカチをさっと取ると自分でゴシゴシとぬぐい始めた。申し訳なくなって眉根を下げる私に彼は先ほどの本をずいっと差し出した。
「コレ、よろしく」
「あ、はい」
差し出された本を受け取り思わず三上くんを見上げた。これは、私も入荷された時に読んだ本だ。最近巷でニュースになっている。
「あ? んだよ」
「いや、別に…三上くんも流行りとか、気になるんだと思って」
「はあ?」
だってこれ、「チーズはどこへ消えた?」じゃないの。確かチーズを探しに行くねずみと帰ってくるのを期待して待つ小人のお話…こんな自己啓発本、三上くんも読むんだ。

「三上くんもチーズでも探しに行くの?」
「ばーか。お前と一緒にすんな」
「じゃあ、なんで?」
「……、別にいいだろ」

そう言って、三上くんは生徒手帳を開いてさっさとしてくれと催促してきたので、私は手帳に判子を押し、本からカードを抜き取り二枚のカードに三上くんの名前と返却日を記入してそのうちの一枚を貸出ポストの中にそれを放り込んだ。

「うん、どうぞ。返却日だけは守ってね」
「へーへー」

そう言って三上くんは去っていった。
そして図書館から姿が消えてから気がついた。私のハンカチ、一緒に持って行かれた。

お気に入りだったハンカチがひょんな所から私の元に帰ってきた。

「ハイこれ、亮くんが」
「あ、三上先生」

数週間後の図書当番の日。
私の花粉症もようやっと収まりつつあった昼休みに来客は来た。

カウンター越しに、国語担任の三上先生が私の前に丁寧に畳まれたハンカチを差し出した。机に置かれた桜模様のそれは、間違いない私の物だ。

「なんで、先生が?」
「亮くんは寮生活でしょ? 何かと不便だからうちで洗っておいたわよ」
「そうですか…」
差し出されたそれを、おずおずと引き取る。そうだ、先生と三上くんはいとこなんだっけ。三上くんから帰ってくると思っていたからなんだか残念。
「なに? 私じゃ不満?」
顔に出ていたらしい。椅子に座る私に合わせるように、先生が屈んでニコリと一笑。三上くんと同じサラサラの黒髪が揺れる。
「い、いえっそんな!」
否定しようと思いっきり首をブンブン振っていると、先生はくすりと笑った。そうして、私の手元をじっと見た。

「それ、今読んでるの?」
「あ、はい。ハリーポッターの一巻です。これ、今本屋さんで人気なんですよー」
「………」

次はこれか。ぼそりと、先生が呟いた声が途切れ途切れに聞こえた。

「え? 何ですか?」
「あ、うんこっちの話」
「はあ。先生、これ授業に使えませんか?」
「そうね、私じゃなくて英語の先生に頼んだほうがいいんじゃない?」
「あっそうか! それなら嬉しいなあ」

この本の訳なら、私頑張って良い点取れそう。なんて言ってると先生が呆れた声を出した。

「外はあんなにひどいのに、ここは穏やかね」
「え? あ、ほんとだ。一雨きそう」
「そうじゃないんだけど…じゃあ」

そう言って先生はそのまま図書室を後にした。
私は知らない。
その後日、三上くんがこの分厚いハリーポッターシリーズを借りに来たことを。

2013.07.04

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梢の夏にもう一度だけ (沖田)

蝉の合唱が響き渡り夏が到来したこと告げるなか、ナマエは気だるげに身を起こすと目尻と耳のあたりをぐいっと拭った。そこには涙が流れたあとがくっきりと残っていた。夜着を脱ぎ、枕元に置いていた着物に手を伸ばすと要領よく着替えた。
日の出前、塀の向こう側の空が茜色を濃くしていく中、ナマエは井戸から水を汲むと、桶の中に水を移した。そこに、砂利を踏む足音が一つ。

「おはようございます」
「あ、おはようございます」

ナマエが屈めた上体を起こすと、数歩先に沖田総司が立っていることに気がついた。ゆっくりと腰を曲げて頭を下げると、総司はにこりと微笑んだ。

「ここにも慣れましたか」
「はい、とりあえず」
「最初自分で見繕いできないと聞いたときは、驚きましたけれど」
「お、沖田さん!」

彼の言葉にナマエは頬を熱くさせると反論するような目で睨み返した。総司は睨みなどすいとかわすともう一度よかったですね、とナマエに声をかけた。

「歩さんがいてくれて」
「ほ、本当に」
「そうでもないと、山崎さん辺りに教えてもらってたかもしれないですね」
「ああ、わかってます、わかってますからそれ以上は」

意地悪く言葉を連ねていた総司がナマエと目が合うと、ふいに口を閉ざした。不思議に思い、彼女は総司の顔を見つめ返す。
じゃり、じゃり。総司がナマエの前へ近づく。
「どうしました?」
ナマエは総司を見上げると口を開かない彼に問いただした。
総司はそっと手を伸ばし、ナマエの頬をゆっくりと撫でた。指が、そっと目尻まで動く。その仕草で、ナマエには総司の行動の意味を理解した。

「またですか」

その言葉に、ナマエはびくりと体を震わせた。
怯えるような潤む瞳で総司を見返す。彼はナマエの“目”を見て、はにかんだ。

「まだ、恋しいんですね」

ナマエは返事を返せずそのまま総司から視線を外した。

あの日、ナマエは現代からこの時代へ来ていた。学校に通い、友人とはしゃぎ放課後になれば部活動に励む。そんな生活が一変した。
何もわからない、自分が生きていた時代に比べれば――相当不便な生活。唯一救われたのは、この時代に来てすぐに“ここ”の沖田総司に助けられたことだろう。

「困ったなあ」

目尻に触れていた総司の手が離れた。その指先を追うようにナマエは視線をあげる。指が総司のこめかみに触れ、撫でるようにそっと掻いた。

「ナマエさん、いつか帰れますよ」
「…帰れるの? 本当に?」

縋るようにナマエは総司に半歩歩み寄った。総司はそこから一歩も動かずに、優しく頷いた。

「ええ、きっとです」

蝉の合唱がますます響き渡る。日の出が差し込み、二人の横顔を熱く照らした。

「まさか、あのあとすぐに帰れるなんて」

あのあと、総司の言うとおりナマエは無事幕末から現代に戻ることができた。気づけば地元の山の森林に、ナマエは立ち尽くしていた。
学生服を着た友人と遭遇して、自分が帰ってきたことに気がついたのだ。

あれから、一年の歳月が経とうとしている。

再び、蝉の鳴き声が聞こえ始めた。

(もう一度だけ……あそこに“帰りたい”と思うのは)

「罪なのかなぁ」

卓上に広げた夏休みの課題と向き合いながら、ナマエはぽつりと零した。

2013.07.07

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夏梅は海風に誘われて(若菜)

『あら、ナマエたちバーゲン行くの? じゃあ帰りに洗剤買ってきてちょうだい』

休日。

夏のバーゲン帰りにお母さんに頼まれた粉洗剤を買いに私はスーパーへ来た。きょろきょろと陳列棚の隙間を縫って洗剤置き場を探していると、お菓子コーナーで同い年くらいの男の子が何かのお菓子の前で立ち止まっていた。目を凝らして見ると、手のなかに同じお菓子が大量に入ってる。この人すごい、まだ買おうとしてる。
なんだか目があうとまずい気がして、私はすぐに他の陳列棚に向かった。

レジで洗剤と飲みたくなったペットボトルを買って、出口に向かって歩いていると肩を叩かれた。びっくりして振り向いたら、そこに結人が立っていた。何だか二年に上がって久しぶりに見たきがする。

「よっ」
「よ、よっ」

ビックリして、咄嗟に言葉が出なくて私は結人の言葉をオウム返ししてしまった。そしたら、結人がくしゃり、と顔を崩してお腹を抱えて笑った。

「何それ、今の俺のマネ?」
「とも、言う」
「とも言うって、ナマエおもしろ」

見上げた結人はユースの帰りみたいにジャージじゃなくて普通のシャツを着てる。

「結人は今日、サッカーじゃなかったの?」
「今日は休日で唯一の休みだから、遊んでた」

そう言って、私の隣りに並ぶもんだから、胸のドキドキが半端ない。前を向いている結人を盗み見ると鼻の頭が焼けて皮がむけていた。

「ど、どこに行ってたの?」
「英士と一馬と買い物。でもあいつら試験前だからってすぐ帰ってさー」

ちらって手元を見たら、メンズものの袋を持ってる。英士くんと一馬くんは、一年の終業式から始まったメールのやりとりの中でよく出てくるから知ってる。

「ナマエは?」
「え?」
「ナマエはなにしてたの?」

スーパーの出入り口まで歩きながら、隣りに並んだ結人が私の方を振り向いた。目が合ったってわかった途端、顔に熱が集中したみたいに熱くなった。

「私も、お姉ちゃんと買い物してた」
「姉ちゃんと?」
「うん」
結人と目が合って、嬉しくて頷くだけでも精一杯の私は一生懸命頭を動かした。
「で、姉ちゃんは?」
「友達に会ったから、その人と遊ぶって」
「ナマエは?」
「だから、私は先に帰ってきたの」
「ふーん」

お姉ちゃんは、バーゲンに来ていた大学のセミナーが一緒の何とかちゃん、て人と一緒にお茶に行くって決まって。だから、私は他に一人で見るものもなくて帰ってきたのだ。

「なんかナマエ、かわいそーだよな」

結人がそう言った。だけど、私は早く帰ってきてよかったって思ってる。
だって、こうやって結人に会えたのだ。しかも今こうやって並んで話してるんだもの。

私たちはそうやって歩きながらスーパーから出た。
途端、むわっとした暑い空気に体があたってだるくなった。まだ日があるから暑い。
これから歩いて帰るんだ、そう思うと気が滅入ってしまった。

「ナマエ」

さっきまでうんうん唸ってた結人が私の名前を呼んだ。

「なあに?」
「ナマエ、暇だよな?」

ちらって、結人が私を伺うように見た。

「うん」

私の返事を聞いて、結人の顔が何か面白いことを閃いたような表情になった。

「俺さ、今日チャリで来てんだけど」
「そ、そうなんだ」
「そこでだ!」

ますます、結人の目がキラキラしだした。

「今から遊びに行かね?」
「え? わ、私と?」
「もち!」

結人はすぐにでも行きたそうな顔をしている。対する私も、結人に誘われた事が嬉しくてにやけてる。

「で、ナマエどう?」
手を腰に当てた結人が覗き込んでくる。
「い、いいの?」
「よし、じゃあ決まり!」

まだ答えてない、て、言おうとしたけど。

「行くぜ! 俺今あそこにチャリとめてんの!」

そう言って結人に腕を引っ張られたら、胸のドキドキで言葉が吹っ飛んでしまった。

2013.07.10

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夏木立に君が消えてゆく (真田)

「ごめん」

声が裏返った。泣きそうだ。
けど泣きたいのは私じゃない、目の前に立っている真田一馬のほうだ。
怒りで顔を真っ赤にして、でもショックでなにも言えずにいる。

そうだ、私は真田一馬という男を利用していた。

彼の純粋さにつけ込んだ私は最低だ。

「何なんだよ」
「ごめん」

ちくしょう、て言葉が聞こえて、真田が地面を蹴った。その行動に私は怯えた。

「俺が、何したっていうんだよ」
「…」
「なあ!?」

一歩前に踏み出した真田に、私は一歩後退する。

彼の左頬は腫れ、唇を切ったのか赤い切り傷が見えた。きっと今夜は腫れるに違いない。
この傷を作ったのは、紛れもない私の彼氏だ。

私は、彼氏に浮気されていた。他の女子に現を抜かす彼を、どうしても取り戻したかった。別れるという選択は、私の中になかった。それほど彼が好きだった。

そして私は同じクラスの真田に近づいた。

サッカーばかりに目を向けている真田は、クラス内の動向に疎かった。誰と誰が仲がいいとか、付き合っているとか、喧嘩をしたとか、そういったものに彼は興味を示していなかったのだ。
それは私にとって都合が良かった。男子と仲良く話す姿を見れば、きっと彼は私を見てくれる。

真田が年代別代表で抜けている間の授業ノートやプリントを私が担うことにした。
できる限り真田と接触する機会を増やした。
はじめはぶっきらぼうだった彼も、次第に私へ心を開いてくれていた。

それは、真田だけじゃなかった。
私自身も真田に心を開いていたのだと、今になって気がついた。

私と真田がクラスで話す機会が増えた。
名ばかりの彼氏は、私があまり寄らなくなり不思議に思い始めていた。それは私にとっていい方向だった。

(いいと、思っていた)

ユースの活動が忙しい真田が、オフの時に勉強を一緒にしたいと言ってきた。珍しいことだった。
学校で会話を交わすことは、彼が私を気にするという点もあり真田とよく接触していた。ただ、学校外ははじめてだった。真田と会うことにメリットがない、と思った。

『いいよ』

なのに、私は二つ返事を返していた。自分に驚いた。そして、視線を逸らして照れた様子の真田に、私の心はとてつもなく動揺していた。

真田の家に行くと、サッカー関係の友人がいた。彼らも一学期の期末試験の勉強をしたいとやってきていた。二人ははとても親しみやすかった。気がつけば楽しい、と思っていた。

ただ、楽しかったのはそこまでだった。

西日も傾く帰り道、真田と私は塾帰りの彼氏に遭遇した。

彼は私達を見るなり、真田の左頬を一発殴った。真田は反射で横にそれたようで、直撃はしなかった。

「何で真田といんだよ」

彼の視線が私に突き刺さる。
面食らっていた真田の顔に苛立ちが見えた。

「何でお前が、そんなこと言うんだよ」

聞くな。真田、聞かないで。

殴られた頬を押さえた真田が、彼の口から、私と彼の関係を聞いて目を大きく開いて私を見た。
傷ついていた、彼を見た私の胸はなぜか懺悔ではなく後悔の気持ちでいっぱいだった。
その場から去ろうと引っ張られた手を、私は振り払った。彼に私は首を振った。

あなたに、振り向いて欲しかった。でも、もうその気持ちは消えた。

彼はそのまま去った。

取り残された私と真田はいま、向かい合っている。謝ることしかできない私は愚かだ。

「彼氏いるなら、そう言えよ」

真田が言葉を吐いて、通り過ぎようとした。

「待って」

裾を掴むと、私は真田の頬に手を伸ばした。それを振り払われ、胸が痛んだ。

「やめろよ」

睨まれて、裾を掴む手が緩む。真田が、そのまま私の横を通り過ぎた。

振り向いて、彼が角を曲がるまで見送った。そして真田を好きだったことに気がついた。

胸が苦しくなって、涙が溢れた。

2013.07.09

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夏陰で汗ばむ首筋に(藤代)

連載「ふたたび」にて掲載中です。

2013.07.08

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夏に小袖でございました(藤代)

※未来・オリキャラ・藤代出てきません

「大丈夫だってば」

和菓子の紙袋を持たせようとした母親にナマエは首を振った。
玄関でのこんなやりとりも、これから見かけなくなるんだろうな。そう思うと弟の身としてなんとなく寂しさに似た気持ちを感じた。
ひと悶着も収まり、大きめの鞄を手に持ったナマエは振り向いて弟を呼んだ。

「送ってくるよ」
「気をつけてね」
「はーい」

店の入り口から抜ける形で二人は道に出て、隣りの駐車場へ向かった。

車の扉を開けた途端、車内にこもっていた熱気が一気に肌にまとわりついた。ナマエは後部座席に荷物を置くと、助手席にまわった。それより先に、キーを差し込みエンジンをかけた。温度を下げ、風力は最大に。シートは日差しの熱を吸い込んでおり焼けた地面に腰を下ろしたくらい熱かった。

「ひーあつー」

エアコンの風に顔を近づかせて涼んでいる姉を横に、彼はシートベルトを装着し、サイドミラーを確認しながら呆れた。

「姉さん、お願いだから藤代さん家ではやらないでね」

ため息をこぼしそうになるのを堪える。隣りでナマエがニヤッと笑った。

「大丈夫、藤代家は渋沢家と違って優しいしほんわかしてるから」
「そういう問題じゃなくて」
「わかってるよ、お兄ちゃんの評判落とすなって事でしょ?」
「そうでもなくて…」

はしたない、と言いたいのをぐっと堪えて彼は運転を始めた。

姉と藤代誠二が交際をはじめたのは、兄がきっかけだ。
その兄は今頃ピッチでゴールを背に闘っている最中だ。そして、同じく藤代誠二もピッチを走り回っているだろう。

「あそこは男兄弟でしょ? お義母さん女の子欲しかったって喜んでくれたし、しかも誠二くんは弟! 跡取りじゃないから面倒もない」
「それ、母さんに言ってないよね?」
「もちろん! 言ったら怒られるに決まってるもの」
「当たり前だよ…」

車を走らせながら、弟は姉のどこが良かったのか聞いてみたいものだと思った。
青空に薄いちぎれ雲が流れている。この日差しだ、きっと芝生の上も暑かろう。

「あんたは本当にお兄ちゃんと似てるよね」

ナマエは運転している弟の顔をじっと見た。

「そう?」
「私より老けて見えるのがかわいそう」
「そう」
「あと口調! 誠二くんもそっくりだって言ってた!」
「違うと思うけどな」

はっはと豪快に笑う姉の姿に彼は呆れた。

藤代誠二と会うまでの姉は、成績優秀な兄弟に挟まれとても荒れていた。
周りから見れば彼女も優秀だった、けれど兄弟の中では一番下だった。根が真面目な姉はそれを非常に気にしていた。武蔵森を落ちた時が一番荒れていた。長男が帰省しても顔を合わそうとしていなかった。

そんな姉が、今では家族の中で長男と一番話す。藤代誠二のおかげだろう。

「ねえ、私がお嫁にいくの、寂しい?」

赤信号で止まっているとナマエは運転席の方に身を乗り出した。それに、彼は首を振った。

「いや、貰い手がいてくれて良かったと」
「あんたも口が達者になったわね」
「姉さんは、藤代さんに似てきたね」
「あ、今の誠二くんに言うんだから」

(寧ろあの人は喜ぶだろうな…)

喜んで、姉を抱きかかえるのが目に浮かぶ。
嫌味と取った姉の方が失礼だ――彼はアクセルを踏んだ。

寂しいと思っているのは姉自身だ。

今日、最後の荷物を運び出した。家には姉の物は無いに等しい。
そんな中、姉は兄の部屋に何かを置いていった。その何かを、自分は知っている。

錆びが見えるキーホルダー。
昨夜、棚から引っ張り出したそれを姉が捨てたのを彼は見た。暫くしてゴミ袋から引っ張り出している姿も。

何故それを兄の部屋に置いたのか、理由はわからない。きっと姉以外にわかる人はいないだろう。

「今日の試合はどうなってるかなー」

窓の向こうを見ている姉を尻目に、兄がオフで帰ってきた時に聞こう、そう思った。

2013.07.16
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